ほうとうチャチャチャ |
家族のあいをささえ合い 暮らしの恵みを育て合い 里の実りの命のちからを 郷土が受け継ぐオー食文化 それがほうとう家族で囲む食卓の団欒 ほっと HOTほうとう 家族で囲む食卓が一番 1ほうとう喰らうに ほうとう喰らうに 皆でよばれろし チャチャチャ ほうとう喰えば 皆が幸せ 長生き健康 間違いなし ほうとう食えしほうとう食えし 皆でよばれちゃあ ほうとう三昧 ほうとう三昧 うちの息子も 放蕩三昧 2ほうとう喰らうに ほうとう喰らうに 皆でよばれちゃあ チャチャチャ ほうとう喰えば 一家団欒 ぜいたくしんで 質素にくらせし ほうとうくっちゃほうとうくっちゃ 皆でよばれちゃあ 伝家のほうとう 伝家のほうとう 皆で食えるど 伝家のほうとう ほうとうチャチャチャ ほうとうチャチャチャ 歌って踊ってほうとうチャチャチャ 山家の衆も 都会の衆も 皆が知ってるHOTほうとう 家族のあいをささえ合い 暮らしの恵みを育て合い 里の実りの命のちからを 郷土が受け継ぐオー食文化 それがほうとう家族で囲む食卓の団欒 ほっと HOTほうとう 家族で囲む食卓が一番 |
ほうとうの由来
発生地や時期の定説はない。通説としては山梨県内で自然発生した説、以下「語源」に示すとおり古代の一般的な料理が各地で廃れ、山梨にのみ残ったとする説、武田信玄を祖とする説、など各種ある。
山梨県(甲斐国)では近世に養蚕の普及による桑畑化で田地が集約され、米の収量が少なくその代用食として、裏作での麦の栽培が一般的となったことから、おねりやおやきなど粉食料理の体系が発達し、ほうとうはその中でも各種野菜や汁で増量されるために小麦の使用量が少なく経済的であり、また味も良いことから広まったといわれる。日向国の修験者である野田泉光院の記した旅行記にも一連の粉食料理とともに登場し、「名物」であったことも記されている。
また山梨県東部の郡内地方では、山間部であるため寒冷な気候で平坦地に乏しく、富士北麓では富士山の伏流水の季節変動が激く、水利に乏しい溶岩台地が広がっているため全般的に米の栽培が困難であった。一方、麦は富士北麓では流水を用いた水掛麦による栽培が行われており、ほうとうなどの粉食料理が根付いた。
参照引用文献 影山正美『ホウトウ』『山梨県史民俗編』