富士川と人のかかわりは、古くは万葉集や平家物語にも詠まれ、江戸時代には漁夫が投網をしている様子が葛飾北斎の浮世絵「富嶽三十六景」にも描かれています。 上流域の釜無川では、毎年4月に信玄堤で御幸祭が行われます。古くから親しまれている祭りで、西暦825年、純和天皇のときに勅使を下し、支川笛吹川流域の一宮、二宮、三宮の各神社に命じ、釜無川の水防祈願を行ったのが始まりと言われています。武田信玄は、この祭りを治水の祭りとしました。
釜無川と笛吹川が合流する市川大門町の和紙は、シェア40%を誇ります。市川和紙の隆盛に貢献した紙工を祭る「神明の花火」が毎年8月、富士川で行われ、山梨県下一の花火として、多くの観客でにぎわいます。この花火は、武田氏の狼煙の打ち上げから始まったと言われています。
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富士川慕情 |
1 川沿いの 道を歩けば そよ風が 髪にやさしい この道の 青い小立に 思い出が ふるえてる *あゝ夏の日の たそがれ時だった 泣きながら 別れたふたり 富士川の まつりの笛が 今もなお とおくきこえる 2 あの橋を 渡りましょうか 富士川が とてもきれいね あの人も 思い出すでしょう 清らかな 恋の月日を あゝさよならの訳さえ知らないで いつまでも 泣いていた私 少しだけ 過去にもどって もう一度 逢ってみたいの *繰り返し 泣きながら 別れたふたり 富士川の まつりの笛が 今もなお とおくきこえる |