甲武信岳(こぶしだけ)、国師岳(こくしだけ)に源を発して流れる子酉川(ねとりがわ)の急流に沿った山奥の上釜口村(現三富村上釜口)に落人の親子が住んでいた。子の名は権三郎と言い祖先は後醍醐天皇の忠臣日野資朝朝臣の義弟であった日野河内守道義と伝えられている。権三郎は母に孝養をつくし、名手と言われる横笛を吹いて母を慰め村人も笛の妙音に聴き惚れており平和な楽しい日々を過ごしていた。
 しかし「好事魔多し」の例え、天正三(1575)年七月の豪雨により家もろとも急流にのまれ権三郎は辛うじて助かったが母は行方不明となってしまった。それ以来、権三郎は昼夜の別なく浅瀬は石伝いに、淀みは小舟を用いて笛を吹きながら母の霊が何か知らせてくれる望みを抱き探し訪ねた。

 ある日笛を吹いていると川の瀬にまじってなつかしい母の呼び声が聞こえてきた。権三郎はほほえんで母の名を呼びながら急流に身を投じ母の本へ帰って行ったと言うことである。数日後小松村(現春日居町小松)の子酉川の淵に流れ着き、長慶寺の開山・円誉長慶上人により手厚く葬られた。これが今に伝わる権三郎であり、以来この子酉川を笛吹川と呼ぶようになった。

   笛吹権三郎物語

  笛吹川秘抄より
    

  作詞 若杉藤夫 作曲 下鳥良文
          編曲 中島昭二

      唄 杉浦裕美

1 雨に打たれて 風に泣く
  瀬音さみしい 秋しぐれ
  母恋し 権三郎
  笛哀し 権三郎
  帰るふるさと 無いと云う
  笛吹川慕情の 物語

2 浮いて沈んで 流されて
  いまはいずこの いのち花
  母恋し 権三郎
  笛哀し 権三郎
  だれが手向けた 月見草
  笛吹河原は 夜の雨

3 遠い別れの 旅路でも
  こころ離れぬ 親子草
  母恋し 権三郎
  笛哀し 権三郎
  人は慕って 夢をみる
  笛吹堤の 童子像

権三郎の墓