平 敦盛

源氏方武将・熊谷直実は須磨の浜で沖の軍船に落ち延びようとしている
平敦盛の最期は平家物語の中でも最も有名で、涙を誘う話である。九州・太宰府まで逃れた平家は、やがて屋島に本拠を構え、いまの神戸福原の一の谷に堅固な城砦を築き、多くの軍勢を集めた。翌寿永3年2月、源氏は一の谷の攻撃を開始した。平家も必死に防戦していたが背後に回っていた源義経の三千余騎が鵯越えの崖上から急斜面を駆け降りて奇襲をかけたため、難攻不落と見えた城砦もついに落ちた。 平家は総崩れとなり、船で次々に海上に逃れた。平経盛の末子敦盛も沖の船へと逃れようとするところを、熊谷次郎直実に呼び止められ、一騎打ちに舞い戻った。歴戦の猛将直実に若干十六歳の敦盛がかなうわけもなく、組み伏せられる。熊谷が首をはねようと顔を見ると、わが子の小次郎と年近い平家の公達で、哀れに思った熊谷は敦盛を逃そうとした。その時、味方の軍勢が到着したため、熊谷は後の供養のこともあるからと、泣く泣く敦盛の首を掻ききった。後に所有していた笛から取った首が敦盛であることを熊谷が知り、武家の無常を感じた熊谷は出家の志を持つようになった。敦盛のもつ貴族の優美さとともに、熊谷の武家の力強さと優しさ、心の葛藤を謡う敦盛の最期は、平家物語で最も有名な話であり、多くの人の涙さそう
大編美しいくだりである。

あつもり草
 
作詞 澤登初義  作曲 古谷 宏



唄 飯野のりこ

1  霧の流れる 峠路に
   君と憩えば 花香る
   語ってくれた 古の
   戦は悲し あつもり草

2  
矢止めの幌  背に負て
   眉墨淡し 美少年
   二八の姿 そのままに
   手折ればいとし あつもり草

3  頬ずりすれば 唇に
   ほのかに残る 麝香鹿
   高嶺の花よ 公達の
   その名もゆかし あつもり草