雪・大井夫人

作詩 桜井重義 作曲 清水吾郎 
        編曲 中島昭二

唄 飯野のりこ

1、頃は永正 十年やよい
  咲くや大井の 椿の姫よ
  親の交わした 縁の糸に
  嫁ぐ府中の つつじが館
  月に見送る  ああ岐秀僧


2、幼心に 慕いて仰ぐ
  念持み仏 観音像よ
  武田みまもる やさしい聖母は
  嫡子勝千代 手をひきつれて
  通う大井の ああ長禅寺


3、夢想国師の 築山寒く
  しのぶ駿河の 信虎公よ
  思いせつなく 別れの袖を
  濡らす涙も 夫婦のきずな
  大井夫人よ ああ夢いずこ

  
大井夫人と古長禅寺
大井夫人は、明応6(1497)年甲斐西郡の雄、大井信達の長女として生まれた。当寺、世は室町の中期で既に戦国争乱の時世、父信達は永正12(1515)年ごろ、国主武田信虎と勢力を競い合い戦いを交えたが、勝敗つかず和議が成立した。その結果、政略結婚によって夫人は信虎のもとに嫁ぎ、嫡子晴信(信玄)、信繁、信廉、今川義元の夫人等の生母となった。
晴信には大井氏の菩提寺住職、岐秀元伯に文武の道を学ばせた。よって古長禅寺は晴信公薙髪の道場とも呼ばれている。

夫人は天文10(1541)年信虎駿河退隠には従わず、除髪して躑躅ヶ崎館北の曲輪に住んだ。よって「御北様」と言われ、天文21(1552)年5月7日に55才で逝去、大井の庄鮎沢の当長禅寺に葬られた。のち信玄は夫人が深く帰依した岐秀元伯和尚を開山として甲府長禅寺を建立し、母の菩提所を定めた。これにより当寺には「古」の字を冠して古長禅寺と言われるようになった。