大永元年(1521年)、駿河今川家の臣・福島正成は1万5千の大軍をもって甲斐に侵入しました。 9月16日には西郡富田城を攻略し、更に北上の形勢を示したため、武田信虎は身重であった大井夫人を積翠寺要害山城に避難させ、2千の兵をもって、荒川左岸の飯田河原に布陣しました。  10月16日に両軍は激突しましたが、信虎の優れた指揮と将兵の善戦、領民上下の協力により大勝を博しました。

 勝報を聞いた大井夫人は、安堵して11月3日に男子を出産しました。この男子こそが後の武田晴信となります。  そのような中、敵は態勢を整えて再度北上し、荒川の西方・竜台地に陣取りました。23日には荒川上条河原で2度目の激戦がありましたが、信虎以下、諸将の奮闘により、再び大勝を得て、敵方の総大将・福島正成以下600余を討ち取りました。  

 信虎は、大永6年(1526年)9月に上条河原の戦跡に敵味方の戦死者の供養碑を建てましたが、以来150余年が過ぎ、その偉功はややもすれば忘れられようとしていることから、ここに有志が相謀り、陣場の戦跡に碑を建て、武田信虎の威烈を顕彰し、併せて敵味方戦死者を供養するものです。

また、この戦いの軍功によって板垣信方が、信玄のもり役に抜擢され、信玄の将来に大きく影響を与える事になるであろう予感を感じさせる一戦でした。

武田の母

作詞 澤登初義 作曲 吉田矢健治
           編曲 白石十四男

平成??年

唄 二葉百合子


1 飯田河原の 勝鬨に
  産声あげた 勝千代公
  心やさしく たくましく
  育て武田の 幟旗
  女の生命 嬉し涙に襟正す
  あヽ 武田の母

2 源家 家宝の楯無を
  召され元服 晴信公
  岐秀 快川 師の君に
  母が捧げる 甲斐の酒
  女の幸福よ 思わず開く舞扇
  あヽ 武田の母

3 富士嶺はるか 宵月に
  祈る駿河の 殿の幸
  風林火山の 旗かざす
  信玄公の うしろだて
  女の使命 護らせ給え不動尊
  あヽ 武田の母