武田松姫さま

作詞 沢登初義  作曲 古谷 宏

昭和45年

唄 春日八郎

1 一度定めた 尾張の殿を
  いついつまでもと 心に秘めた
  甲斐の武田の 松姫さまが
  しめた金襴 緞子の帯に
  月の屋形の 篝火映えて
  ああ勝鬨の 勝鬨の 舞扇


2 はやる陣場に 待ったをかけた
  殿は寄せ手の 御大笑
  いとし武田の 松姫さまを
  一目見たさの 信忠さまが
  手綱引きしめ あぶみをふめば
  ああ花が散る 花が散る 高遠城


3 霧の武蔵の 八王子さして
  姫が越えたは 松姫峠
  三葉葵の 花咲く春の
  鐘は差出か 恵林寺山か
  千鳥鳴くかや 笛吹川に
  ああ墨染めの 墨染めの 松姫尼
武田松姫さまについて

松姫は永禄4年、側室油川夫人との間に生まれました。6才の時、望まれて織田信長の嫡男信忠11才と婚約いたしました。結納として金襴の布巻、緞子の帯300本など沢山の品が山と送られてきました。
2年、3年と年を重ねるうちに、松姫の心には、生涯の夫として尾張の殿をしたう慕情が育ってまいりました。
時は武田の全盛、松姫は父信玄公愛用の金骨の扇をかざして、戦鬨の舞いをまい続けたことでした。
然し戦国の世は無情で、天正元年4月、信玄公が逝去しますと、この縁談は破談となってしまいました。
その後上杉家、徳川家から次々と縁談が持ち込まれましたが、「婚約したからには、たとえは段になろうとも織田信忠の妻である」といって、心の夫に操を立て、他の話には耳をかしませんでした。
やがて天正10年、武田家滅亡の時が来ました。松姫は母と共に兄、仁科盛信の守る信州高遠城におりましたが、何とこの城を囲んだよせ手の御大将は、心の夫織田信忠でした。松姫はひそかに城を抜け出て甲州に帰り、厳しい峠を越えて八王子へ参りました。
そこで出家した松姫は、若い尼僧となって甲州へも参りますが、やがて信松院の開基となり、武田一門、織田一族らの冥福を祈りながら、土地の人々に蚕の技術、絹の織物を教え、また施薬につくすなど数々の業績を残し、元和2年、56才で波乱に満ちた生涯の幕を閉じました。