南部の火祭り

 8月15日に行われる夏の一大風物詩「南部の火祭り」は盆の送り火と川供養の奇祭であると同時に稲を病害虫から守るための虫送りの意味も込められていると云います。
もともとは江戸中期の元禄時代頃に富士川下流沿岸で行われていましたが、次第に縮小され、現在は南部町の富士川沿岸のみで行われています。

 オープニングを飾る「投松明」、「大松明」の炎が仏様の道明かりとなり「灯篭流し」が厳かに行われます。
 一斉に点火される「百八たい」が富士川の両岸で燃え上がると、祭りはクライマックスを迎えます。

主な催し

投げ松明

「蜂の巣」と呼ばれる麦わらであんだ籠を載せた、高さ10数mもする竿を川原に立てる。夕方日没になると、手に手に松明をもって集まった子供達が、投げ入れの合図とともに、点火した松明を片手でクルクルと回しながら、頭上の蜂の巣目がけて投げ合うのが投松明だ。うまく松明が命中すると、蜂の巣が天空で火の塊となって燃え上がる。燃えつきたあと、竿を揺さぶると、あたかもクス玉を割ったように火の粉が折からの風にのって飛び散っていく様はまことに見事である。
 投松明や百八たいの焔は、仏さまが迷わないための道明かりを意味すると言われている。



大松明

大松明は町内各寺院から古くなった塔婆を集め、積み重ねて山となし、大松明に仕上げたものである。僧侶による読経のなか、点火され、煌々と照らす塔婆の炎と低く流れる読経が闇の川辺に幽玄な響きをもたらしていく。


百八たい

人間の百八の煩悩を炎で除去、あるいは死者の慰霊や稲の害虫であるウンカを虫送りする意味があると言われる。富士川の両岸約2kmに百八基の円錐形のたき木の山を作る。夜8時にサイレンが鳴り、同時に点火する。その光景は川が燃えているようである。
百八たいはもともと仏教の「百八煩悩を絶つ」ということに由来しているといわれ、富士川の両岸約2kmに百八つ、円錐形のたき木の山を作る。
 夜8時、富士川原に静寂が戻ると、一斉に点火され、百八つのかがり火は一度に燃え上がり、川原は勿論のこと、近くの山や空も真赤に染めて、焔は川面に映り、2倍の焔となって辺りを火の海の饗宴に包んでいく。
折から打ち上げ花火の連発と相まって、天と地も絢爛豪華に彩られていく。



男の火祭り

作詞 平山忠夫  作曲 望月吾郎


昭和??年

唄 鳥羽一郎

1 紅い紅い炎の 大松明が
  燃えて南部の 夜空を焦がす
  おやじ見てくれ 精霊船で
  俺の闘志は あの火柱だ
  燃やせ 燃やせ 燃え上がれ
  裸が踊る 汗がとぶ
  南部男の ああ 火祭りだ


2 想い想いとどけと 投げ松明に
  散らす蜂の子 富士川染める
  幼馴染は 離れていても
  恋の煩悩 祭りにゃ燃える
  燃やせ 燃やせ 燃え上がれ
  心が躍る 血がたぎる
  南部男の ああ 火祭りだ


3 南部南部魂 雄叫びあげて
  百と八たい かがり火燃える
  天にとどろけ 大地をゆすれ
  俺の生きざま 祭りに賭ける
  燃やせ 燃やせ 燃え上がれ
  命が躍る 気が勇む
  南部男の ああ 火祭りだ