思い杉哀歌

作詩 桜井重義  作曲 林  明
         編曲 野村 忠 


唄  飯野保子
詩吟 河野機勝

1 たよる義丹の 水枯れて
  鎌倉勢に すべもなく
  いのちの綱は ただ無常
  光朝公よ 一族よ
  ああ 雨鳴城の 露と散る


2 わが嫡子いとしや たくせしや
  のがれし里は 風寒く
  涙にぬれた 北御前
  せせらぐ清水よ 山影よ
  ああ ひそかに宿る 思い杉
  

  詩吟
    興亡古語に 八百年
    風雪流れ 霜柱立つ
    霞湯の里 綺羅星の跡
    悲憤残涙 憶々思い杉


3 古き湯澤の 夢いずこ
  湯煙りすでに 滝に消え
  面影哀し 神楽坂
  不動の杉よ 権現よ
  ああ 日蓮祈る 袈裟の松
  

 
    思い杉の由来

甲西町湯澤の”思い杉”は深い秘話を抱いた杉木立である。遠く八百年前この地舂米村の大家の娘 おもよさん
十七、八歳。男は貧農の息子で二人は恋こがれ、娘は人目を偲び暗い夜道を白衣姿で、思い杉の下の不動尊に百日の願をかけ、思い杉にいとしい人の姿を書いた。
 それ故か、この杉は根元から二つに別れ、互いに抱き合っていることから、村人は誰れ云うともなく「あれはおもよ杉」思い杉と呼ぶようになり、両親も二人の仲を許したという伝説がある。

 また、平安時代の末期元暦元年十月十一日(1184年)加賀美次郎遠光公の嫡子秋山太郎光朝公が、鎌倉の源頼朝公の軍勢(実弟の小笠原長清公)に攻められ、雨鳴城(甲西町)において武将ともども討ち死のとき、光朝公の側室である重子夫人は(平重盛の息女)側女・家来と可愛い我子を連れて、谷沢を落ち、この思い杉の下を宿となして、夜な夜な主を偲びながら悲しみ泣き伏して祈願していたという。

 この湯澤部落には古い歴史跡』が多く、御前山・湯権現・袈裟掛松・サカイチなどもそのひとつである。
            
                                         甲西町湯澤区 歴史散歩のしおりより