江戸時代の将軍家御用のお茶を、京都・宇治から江戸まで運ぶ道中を「お茶壺道中」と呼んだ。

 都留市などによると、1633(寛永10)年、徳川三代将軍の家光が始めたといわれ、将軍の権威を示すため茶壺をかごに載せ大仰な行列をした。多いときには400人を超す大行列だったという。八代将軍吉宗の享保の改革によって簡素化され3壺以内とされた。その後江戸幕府が終えんする1867(慶応3)年まで毎年行われ、その数235回だったという。

 「道中」は宇治から中山道を通って木曾街道を下り、信州から甲州に入り甲州都留郡谷村の領主秋元氏に新茶の一部を預け、夏季の間、富士山ろくに位置し涼しい勝山城に格納、秋になって江戸城へ道中を発する例があった。同市にはこれを記念してふるさと会館前に碑を建立した。

 同市は市民にもっと理解を深めてもらおうと、2000年5月から宇治市に「お茶壺道中ツアー」を行っている。茶摘みを体験したり、道中の関係個所を訪問したり道中の歴史を探る。10月下旬には都留市内で「お茶壺道中行列」も再現。2002年には一般公募した「富士の霊気茶 瑞鶴」と名付けた抹茶を新特産品として限定販売した。ゆかりの宇治・上林家に預けておいた碾茶(てんちゃ:抹茶の原料)をミュージアム都留の保管庫で、夏の間熟成させて作ったという。

 また都留市上谷の長安寺には、寺宝として郡内巡視をした徳川家康から寄進された茶壺一口が残っている。県文化財。家康は静岡に御用茶を献上させていた。都留市はお茶に縁が深いようだ。

お茶壺道中

作詩 竹内秀秋 作編曲 山路進一
         

唄 花 寿希

1 宇治を発なれて 木曽路を越えて
  毛槍片手の 献上茶
  来たぞ見えたぞ 戸ッピンシャン
          トッピンシャン 
  赤い入陽も エーエー下に 下に
  お茶壺道中 甲州路
     オチャエー オチャエー


2 都留の御番所 ゆかりの宿場
  谷村城山(勝山城)茶壺蔵
  八端機織り 戸ッピンシャン
        トッピンシャン
  草も刈れまい エーエー下に下に
  お茶壺道中 富士おろし
     オチャエー オチャエー


3 江戸へ運べば 御用も終わる
  明日はお立ちか 茶壺駕籠
  今夜ひと晩 戸ッピンシャン
          トッピンシャン 
  米のなる木も エーエー下に 下に
  お茶壺道中 都留郡
     オチャエー オチャエー

お茶壺道中と都留市(谷村)の年表

お茶壺駕籠

お茶壺道中行列