行進曲集

    『旧友
  世界三大行進曲の一つとされています。C.タイケ作曲の世界でもっとも有名な行進曲、「旧友」です。彼はドイツ、ウルムの軍楽隊に入隊後、21歳の時からマーチを書 き始めました。ところがこの曲の楽譜を楽長に見せたところ、「こんな曲はかまど へ放り込んで焼き捨ててしまえ」と言われ、彼はそのショックのあまり、軍楽隊を除隊して警官にな りました。その時に慰めてくれた友人たちの友情に感謝し、この曲に「旧友」 という名前を付けました。中学校のブラスバンドの演奏で初めて聞いた印象的なマーチで、運動会の行進や入場などのバックによく使用された。...
    エル・カピタン   1896年4月13日に、ボストンのトレモント劇場で初演されて大ヒットしたオペレッタ(喜歌劇)で、スーザのオペレッタの中では最も成功した作品である。内容は、17世紀初めにペルーの総督に任命されたコミカルで臆病なドン・エリッコ・メディグアを主役とした3幕ものの喜劇。大部分の主題は第1幕からとられ、このマーチの最後の2/4拍子のテーマは、オペレッタの最後の部分からとられている。
 スーザはこのマーチを大変気に入っていたという……。
 スーザは全額自己負担でスーザ・バンドに補強メンバーを加えて100名を越えるバンドを仕立て、1899年9月30日にニューヨークで行われたデューイ総督(1898年に米西戦争でスペイン艦隊を破った)の凱旋パレードの先頭に立ってこのマーチを演奏した。米西戦争の最中にデューイ総督が率いる艦隊「オリンピア」が、マーズ湾を出航してマニラ攻撃に向かう時に、同艦上で演奏されたのがこの曲だったから、スーザにとっては特別な思い入れがあったのだろう
  『タンホイザー入場行進曲
ワグナーはタンホイザーから第2幕4場入場行進曲です。リヒャルト・ハイマン指揮です。タンホイザーの中ではやはりこの入場行進曲が一番好きですね。壮大な一場面です。オペラVer.のパリ版もありますので、そちらと聞き比べてみる と面白いかもしれません。 リヒャルト・ハイマン指揮スロヴァキア・フィルハーモニー管弦楽団
    『トルコ行進曲   このピアノソナタが、いつごろ、またどこで作曲されたのかはよくわかっていない。現在最も有力な説は、1783年ころウィーンあるいはザルツブルクで作曲されたとするものである。一方で1778年ころパリで作曲されたとする説もある。なお、最新の研究では1783年にウィーンかザルツブルグで作曲されたという説の方が有力である。この曲の最も著しい特徴として、一般の4楽章構成によるソナタ(急-緩-舞-急)の最初の楽章に相当する楽章を欠いている(緩-舞-急しかない)ことが挙げられる。このことによって、一般に古典派ソナタの第1楽章におくべきとされるソナタ形式による楽章が欠如してしまっている。ソナタ形式による楽章を含まない「ソナタ」は、もはや古典派ソナタの定義からはずれているが、天才モーツァルトの才能は、この「ピアノソナタ」において、表面的な形式を超越した次元で、「ソナタ」を作ることに成功している。なお、時代が下るにつれて、ソナタ形式の欠如は珍しいことではなくなっていく。
   『葬送行進曲  ご存知ベートーベンの交響曲3番「英雄」の第2楽章です。第2楽章は今まで前例のない葬送行進曲。この楽章で描かれる世界は本当に深い。彼の交響曲の緩徐楽章では第5より深く第9に次ぐものだと思います。と言ってもそれぞれ性格が違うので一概に言うのは良くないことですが。次のスケルツォは前楽章の雰囲気を受けて弦がppで刻みながらゆっくりとクレッシェンドして躍動的なテーマが飛び出します。第2交響曲で初めて用いられた「スケルツォ」が名実共に真の「スケルツォ」として響き渡ります。この楽章は第2楽章から終楽章への舟渡し的な役割を持っているんで、幻想的でまた喜びに満ちた楽章となってます。でも本当の(魂の奥底からの)喜びは終楽章で描かれるため、ここでは幾分軽いものになってます。(だからスケルツォ=諧謔〔かいぎゃく〕曲と言うんですね)
  双頭の鷲の下に   ヨーゼフ・フランツ・ワーグナーが1880年代(1902年という説も)に作曲した曲。『双頭の鷲の下に』と呼ばれることもあるが、『双頭の鷲の旗の下に』の方が一般的。日本では運動会などの行進曲としてよく用いられる。明快かつリズミカルな曲調でワーグナーが当時オーストリア・ハンガリー帝国の軍楽隊長であった時期に作曲したものであり、曲名にある「双頭の鷲」は同国のシンボルである。変ホ長調で4分の2拍子。次第に和声の広がる形の行進曲にふさわしい進撃的な序奏の後に、付点リズムの主題が続き、低音に旋律が移行する際は表拍での演奏からシンコペーションへと移る。中間部では変イ長調にかわり、悠然とした旋律。
 星条旗よ永遠なれ  1896年のクリスマスに作曲された。スーザが妻とヨーロッパを旅行中に当時「スーザ吹奏楽団」(スーザ・バンド)のマネージャーであったデイヴィッド・ブレークリーが死去したとの連絡を受け、アメリカに帰国することになった。スーザはアメリカへ帰る途中の船上でこの曲を頭の中で作曲し、到着するとすぐに楽譜にしたと自伝の中で語っている。スーザは以降亡くなるまでほとんど全てのコンサートでこの曲を指揮したが、商業用録音は唯一1909年のものしか無い。行進曲の楽式で構成されている(IAABBCDCDC、ABCIは旋律を示しAとBは主部、CとDは中間部(Trio)、Iは序奏を示す)。中間部の後、主部に戻らないという特徴を持つ。拍子は2分の2拍子(アラ・ブレーヴェ)である。序奏(I)は非常にシンプルであるがすぐに聴衆を引きつけ、第一旋律(A)に繋ぐ。第一旋律は明るい2つのフレーズに続いて、突然金管楽器の低音で5連続の16分音符+16分音符+8分音符が続くところが特徴的である。第二旋律(B)は柔らかく且つ誇り高いフレーズであり、次の世界で広く知られる第三旋律(C、中間部)に導く。中間部には歌詞がつけられているが一般にはあまり知られていない。しかしその歌詞は好評で、他の様々な曲の歌詞のモデルとなった。
 『ワシントン・ポスト   1889年、アメリカの新聞「ワシントン・ポスト」のオーナーが紙上で行われた作文コンテストの表彰式で使う行進曲の作曲を当時アメリカ海兵隊楽団長であったスーザに依頼した。スーザはその依頼に応え作曲し同年6月15日の表彰式で初演され、瞬く間にヒットした。この行進曲は、かつては平凡な新聞であったワシントン・ポスト紙に名声と注目をもたらしたと多くの人は語った。この出来事から、あるイギリス人のジャーナリストはスーザのことを「マーチ王」と呼んだ。スーザはワシントンD.C.にあるワシントン・ポスト・ビルの一角において、ワシントン・ポスト紙とアメリカ合衆国への貢献が称えられている 曲の構成は行進曲形式で構成されており(IAABBCCDCDC:ABCDIは旋律を表す)、同じスーザの代表曲である『星条旗よ永遠なれ』と同じく中間部(トリオ)から主部に戻らない形をとっている。拍子は8分の6拍子で書かれている。第1旋律は有名で多くの人に知られており、荘厳で堂々としたテンポ(110-120BPM、希により速く)で演奏される。中間部はあまり有名ではないが、行進曲ファンの間ではその甘く感動的なフレーズにスーザの音楽性が含まれているといわれる。唐突な6つの8分音符は旋律を次の旋律に繋げる。その一風変わった穏やかな旋律の分岐部は、トリオ部のシンプルな編曲となっている。その後の中間部の繰り返し以降、金管楽器の低音による対旋律(オブリガート)が始まる。
   士官候補生   この曲の原題は“The High School Cadets”という。このCadets(候補生)という言葉があるため、士官学校のために作曲したマーチだという誤解があるが、真実はワシントンで唯一のハイスクール(後にセントラル・ハイスクールとなる)のマーチング・ドリル・チームからの依頼で作曲されたマーチである。このドリルチームというのは、今でいうクラブ活動のようなもので、軍隊の教練とは直接の関係はなかったそうである。従って、タイトルも“High School(高校hこに“Cadets”を付けて「高校生」というのが正しいのだが……。
 この高校のドリルチームは、ライバルである「ナショナル・フェンシブルズ」よりも、もっと素晴らしいマーチが欲しいとスーザに依頼したのだが、この易しく明快なマーチに生徒達は大感激し、お礼に24ドルをスーザに支払ったという。
 なお、この曲の原調は(Db調→Gb調)であるため、中学生にとってはいささか演奏しにくく感じるようであり、八田泰一がアレンジした版(Eb調→Ab調)やスコットがアレンジした版(Bb調→Eb調)がしばしば使われているようである。
   『結婚行進曲』   シェイクスピアの戯曲「真夏の夜の夢」を読んで触発されたメンデルスゾーンはこの劇のための序曲を作曲します。彼が17歳の時のことです。
10代でオペラにも手を染めたメンデルスゾーンは、モーツァルトにも劣らぬ早熟の天才でした。暗譜力を物語るこんなエピソードがあります。序曲のスコアを紛失した彼は改めて記憶をたどり、すべて書き直したところスコアが見つかり見比べるとほぼ完全に一致していたとのことです。違った部分も自らの改定と言われています。序曲から10数年後、メンデルスゾーンはこの戯曲のために新たに音楽を書き下ろします。その中のひとつが「結婚行進曲」です。ワーグナーの「婚礼の合唱」と並ぶ結婚式の定番曲。知らない方はまずいらっしゃらないでしょう。
    威風堂々1番

  作品39は、イギリスの作曲家エドワード・エルガーが作曲した管弦楽のための行進曲集。エルガーが完成したのは5曲であるが、21世紀初頭に未完の第6番が補筆完成されて新たに加えられた。日本では単に『威風堂々』と言った場合、第1番あるいはその中間部の旋律を指すことが多い。しかしこのタイトルは行進曲集全体に与えられた題名であって、この旋律自体に付けられたものではない。したがって第1番の中間部をして『威風堂々』と呼ぶことは誤用に近いものがある。イギリスではこの旋律はもっぱら『希望と栄光の国』 ("Land of Hope and Glory")と呼ばれている。


    軍艦
  明治30年に作曲された軍歌「軍艦」(鳥山啓作詞)と海軍儀制曲大2号の「海ゆかば」をトリオに挿入した行進曲で。帝國海軍の儀制曲大10号および海上自衛隊の儀礼曲第10曲目に、公式行進曲として用途が定められている。原曲は明治の作品らしくシンプルであるがここは指揮者の編曲によって一部改変されている珍しい演奏になっている。
  『栄冠は君に輝く(独唱)

  『栄冠は君に輝く』
  全国中等学校優勝野球大会は、学制改革により昭和23年からは全国高等学校野球選手権大会と称された。その新しい門出を記念して全国から募集した大会歌は、同年7月に石川県の加藤大介氏の作品が選ばれ、小関祐而の作曲により8月4日に発表された。以後、開会式における各チーム主将によるセンターポールへの大会旗掲揚の際に演奏されている
  ラデッキー行進曲    1848年にヨハン・シュトラウスI世が作曲した行進曲である。同年に北イタリアの独立運動を鎮圧したヨーゼフ・ラデツキー将軍を称えて作曲された。この曲において、シュトラウスは主題にカドリーユを用いている。 オーストリア・ハンガリー帝国の流れを汲むリズム(ダタダンダタダンダタダンダンダン と後ろの拍にアクセントが置かれている)及びその転回で曲が構成されている。ラデツキー行進曲は、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団のニューイヤーコンサートにおいて、アンコールの末尾を飾る曲として伝統的に使用されている。2001年には、ニコラウス・アーノンクールにより、コンサートの冒頭を飾る曲として初めて原典版が演奏された(アンコールでは通常演奏される版が演奏された)。ただし、2005年には演奏されていない。これは、前年末に起こったスマトラ島沖地震の犠牲者へ弔意を示し復興の支援を進めるためである。
   雷神
 日本でも有名な「雷神(The Thunderer)」は、ジョン・フィリップ・スーザ(John Philip Sousa/1854-1932)作曲による行進曲。 父はスペイン出身で、大統領直属ワシントン海兵隊楽団のトロンボーン奏者だった。父の紹介で13歳のときにワシントン海兵隊楽団に入団し、5年間在籍後は各地のオーケストラやバンドを渡り歩いた。1880年に古巣のワシントン海兵隊楽団から指揮者に指名され楽団に復帰する。1892年には「スーザ吹奏楽団」を結成した。 スーザは「雷神」以外にも「星条旗よ永遠なれ(Stars and Stripes Forever)」や「ワシントンポスト(The Washington Post) 」、「自由の鐘(Liverty Bell)」など100曲を越える行進曲を作曲したことからマーチ王とも呼ばれている
  『君が代行進曲
 作曲者吉本光蔵は明治11年初めて一般から公募された海軍軍学生に応募し16歳で入隊した。抜群の成績で明治32年には海軍軍楽隊初の留学生としてベルリンの王立高等音楽院で学んだ。トリオの「皇国の守り」は、文学博士の外山正一の詩に井沢修二が作曲したものである。
   『スポーツ・ショウ行進曲』 昭和26年に作曲されたNHKスポーツ放送のテーマ曲で、現在も各種競技の実況の際に使用されている。
通常は冒頭の部分しか聞く機会がないと思われるが、行進曲としての全部の演奏である。
   『スポーツ行進曲』 昭和28年8月26日に開局した日本テレビのスポーツ放送のテーマ曲として作曲されたものである。
作曲者は黛敏郎で、東京音楽学校(現東京藝術大学音楽部)を経てパリ・コンセルヴァートワールに留学。芥川也寸志、團伊久磨と共に「三人の会」を結成し戦後の一時代を画した。
  『クワイ河マーチ
  映画戦場に掛ける橋の主題歌で、第2次大戦の「泰麺鉄道」太平洋戦中の1942年、日本軍はタイ=ビルマ間にインパール作戦遂行のため全長415kにおよぶ鉄道の建設に着手した。これは当時の日本軍が救援物資輸送網として完成を急いだため、本来ならば5年かかる工事を1年3ヶ月で築きあげられた。この建設にあたって連合軍の捕虜、タイ人、マレーシア、ビルマ人などたくさんの労働者が狩り出され酷使されたため栄養失調、伝染病(コレラ、マラリア)等多くの犠牲者をだした。その数は連合軍捕虜15000人、現地労働者30000人にも及んだ。犠牲者の数は泰麺鉄道の枕木の数のように多いため「枕木一本、人一人」と言われた」 「インパール作戦のために」というのは疑問ですが、一瞬、多大な犠牲を払った貴重な戦略鉄道をどのように使うと、ああいう結果になるのかと考え込んでしまいました。
   史上最大の作戦マーチ    第二次世界大戦における連合軍のフランス・ノルマンディー海岸への上陸作戦「オーバーロード作戦」を取り扱った戦争映画の主題歌。アメリカからジョン・ウェインやヘンリー・フォンダらが参加した他、英仏独からも豪華キャストを迎え、40億円以上の巨費を投じた、当時としては「史上最大の」映画。連合国側だけでなくドイツ側の視点でも描いているドキュメンタリー風の映画で、臨場感に溢れている事で評価が高い。地味で日本人にはなじみの無い原題『一番長い一日』を、当時FOXの広報を勤めていた水野晴郎が「史上最大の作戦」と意訳した。スタンダードナンバーとなった主題歌は出演者でもあるエンターテイナー、ポール・アンカ(Paul Anka)が担当した。 登場人物が母国語で台詞を喋り臨場感を高めているが、DVD特別版に収録された予告編にはドイツ軍人が英語で喋るシーンが含まれている。公開当時にアメリカ軍トップである統合参謀本部議長の要職を務めていたマクスウェル・テイラー将軍は、第101空挺師団長としてオーバーロード作戦で活躍し、原作「The Longest Day」のための取材にも多大な協力をしていたものの、この映画に彼の役は登場しない。唄はミッチ・ミラー男性合唱団
  『大脱走のマーチ   第2次大戦末期。ドイツ・サガン近郊の捕虜収容所に、連合軍の戦争捕虜が移送されてくる。彼らは過去に何度も脱走を試みた要注意メンバーばかり。その処遇に手を焼く独軍は、彼らを1ヶ所に集め、特別な監視体制で脱走を防ぐ計画だった。所内に入るやいなや周囲をくまなく点検し、脱走計画を練り始める男たち。過去17回の脱走歴を誇る米空軍のヒルツは、周囲を取り囲む鉄条網に監視の死角を見つけ、ボールを拾う振りを装って鉄条網に近づく。が、折悪く巡回兵に見つかり、到着早々独房送りとなるのだった…。テクニカラーの緑原を往く独軍の車列。バーンステインの勇壮なマーチが高鳴り、“THE GREAT ESCAPE”の真っ赤なタイトルが浮かぶ。幕開けから1分、早くも武者震いが抑えられない。若き日のシネマ・ヒーローが一同に会し、捕虜収容所からの脱走劇を繰り広げる男性娯楽活劇の金字塔。あの伝説的作品がスクリーンに帰ってくる。本作が作られた1963年前後はアメリカ黄金期の晩年。以降、ハリウッドのスタジオ・システムは崩れ、こうしたスター・ムービーも下火になってゆく。今見返すと、この大らかさや優雅さは夢物語のようだ。中でもスティーブ・マックィーンは不世出のスターの名に相応しく、その一挙手一投足で視線を釘づけにする。マックィーンもブロンソンもコバーンも、すでに世を去った。銀幕の中で彼らに出会える喜びを、多くの人に味わって欲しい。