決戦三方が原

 作詞 矢崎勝巳 作編曲 千野 寛
    
      唄 高山宝作

1.吹雪く暁 二俣街道
  敵の砦は かの犀ヶ淵
  駒よいななけ 甲斐の騎馬
  進む御旗は 諏訪法性

2.いざや決戦 三方が原に
  兵を進める 武田の武将
  運命かけて 風の中
  天下分け目の 陣に立つ

3.かざす軍配 信玄公が
  秘めた心に 鶴翼布陣
  敵を蹴散らし 雲を呼び
  配る先陣 赤備え

4.すさむ荒野の 強者どもに
  鳴るはほら貝 打つ陣太鼓
  ここぞ決死の 幡の波
  めざす勝鬨 今ここに

  めざす勝鬨 今ここに

永禄十一年(1568年)織田信長が足利義昭奉じて上洛し天下取りに大手をかけます。そんな信長に触発され、武田信玄が領地を拡大しはじめ、自分も天下取りレースに参加します。
そして、いよいよ元亀三年の10月に4万5千の大軍を率いて甲斐を出発、上洛を果たそうと、東海道を西へと進みます。

そうなると、当然、徳川家康のいる浜松城の側を通る事になる武田軍。
兵の数で劣る家康は籠城作戦をとり、迫り来る武田軍に備えますが、なんと、武田軍は家康を無視して浜松城下を素通りしようとします。

プライドを傷つけられた家康。
「このまま、我が領地を素通りさせては末代までの恥」と、家臣が止めるのも聞かず、三方が原に打ってでます。
家康率いる徳川軍の陣形は“鶴翼(かくよく)の陣”(←左図)。

(鶴が羽を広げた形、鶴の頭の部分に大将が位置します)
広く軍勢を配置し、どこから攻められても対処できる陣形ですが、今回は兵力が少ないため、途中を
分断されると、そこから総崩れになる可能性があり、今日の場合は家康は賭けに出たのです

かたや、信玄率いる武田軍の陣形は“魚鱗(ぎょりん)の陣”(→左図)。

(魚のウロコの形、ちょうど中心部に大将が位置します)
こちらは、あくまで目的は敵を倒す事ではなく、敵を突破するための陣形で、一箇所に兵力を集中させています。