勘助風林火山

作詩 竹内秀秋 作曲 堀口 実

平成19年

唄 高石省三

1 天下を望む 血と涙
  花の嵐か 武田菱
  山河を甲斐の 城として
  知将軍師の 見せどころ
  いざや勘助
  いざや勘助 風林火山の旗の下
  
2 諏訪りんどうの 黒髪は
  泣かぬ覚悟も 戦ゆえ
  恨みはすまい むらさきに
  祈る慕情よ 由布姫よ
  いとしあの娘の瞳も澄んで
  燃えろ勘助
  燃えろ勘助 風林火山の旗の下
  
3 川中島の せめぎ合い
  霧が夜明けの 敵を呑む
  兵法まさに 数しれず
  夢は誉れの 道鬼居士
  さらば勘助
  さらば勘助 風林火山の旗の下
  

三河国牛窪出身の浪人で、諸国を遍歴し兵法や築城術を会得したが、隻眼となり、片足も不自由になったという。天文5(1536)年に、駿河国今川義元に仕官しようとするが、実現しなかった。天文12(1543)年、勘助の噂を聞きつけた板垣信方の推薦で、信玄に召し抱えられ、足軽大将となる。戸石城攻防戦などの合戦で、目覚しい活躍をし、武田家中では、軍神摩利支天のようだと称えられた。内政、軍略、築城術に関する信玄の諮問に答え、さまざまな意見を具申する軍師として、重用された。信玄の出家とともに剃髪して、道鬼斎と称した。勘助の築城術は、後に馬場信春に伝授され、甲州流、山本勘助道鬼流と呼称されたという。永禄4(1561)年の川中島の戦いで、上杉謙信撃滅の秘策として「啄木鳥戦法」を進言するが失敗し、責任を痛感して、乱戦の中に身を投じて戦死した