日本三大仇討の一つ「曽我物語」

芦安物語
〜虎御前の生涯〜
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作詞 澤登初義  作曲 古谷 宏

             
昭和61年

唄 比気由美子

T. 甲斐の芦安 育ちの御子は
     産湯 御勅使川の 姫ごりょう
     殿に召されて 鎌倉御殿
     あでやかな あああでやかな
   虎御前

2  花の鎌倉 大磯小磯
   舞の頭の 虎御前
   曽我の十郎 佑成さまと
   合舞踊 ああ合舞踊
   打つつづみ

3. 富士の巻狩り 曽我兄弟を
   語り続けて 七百年
   愛の芦安 いこいの温泉
   夢を呼ぶ ああ夢を呼ぶ
   虎御前
   

十郎が五歳の時、父が工藤祐経(くどうすけつね)に殺さねました。そのため母の満江は、曽我祐信と再婚し、十郎・五郎の兄弟は、ここで成長し、いつか父の仇を討ちたいと心にきめていました。
 建久4年(1193)5月、源頼朝は、大勢の武将を引き連れて、富士のすそので大巻狩(まきかり)を開きました。曽我十郎・五郎、工藤祐経らの武将も頼朝のお供をしました。
 巻狩の夜、富士のすそ野は大あらしでした。意を決した十郎、五郎は、猛雨をついて祐経の館を襲い、祐経の首を討ち取り、父のうらみをはらしました。
 『勝山記』には、「建久四 五月二十八日、曽我親の敵を討つ、富士すその。」と、あります。

十郎と虎御前の木像

高さは十郎57センチ、虎御前48センチです。以前は伊豆神社のご神体だったのですが
荒廃のため諏訪神社に移された。
近年、十郎・虎御前であるとの見解がだされ、名称を「十郎・虎御前」に変えた。
 虎御前は芦安村安通の生まれで、相模の国大磯の長者某の養女となり、成人ののち
十郎佑成の愛人となる。
 兄弟がめでたく仇討本懐を遂げて十郎佑は慙死し、五郎時政も捕えられて刑死すると虎御前は兄弟の遺髪を携えて出生地芦安村安通にかえり兄弟の菩提を弔った。
 今も、安通の伊豆神社近くには、毎日虎御前が鏡をたてたという自然石が残っており、村人は虎御前の「鏡たて石」と言い伝えております。